TOEICについての当塾の感想
TOEICは読むことと聞くことの能力を測るテストで、話すこと、書くことの力を測るテストではありません。よって、TOEICで高得点なのに、話すことが出来ないという事態が発生する場合が多々あります。TOEICの勉強をしたからといって、ちっとも話せるようにならない、という嘆き節がTOEIC不要論につながります。TOEICが高得点なのに、あの人は英語を話せない、だからTOEICの点数は意味がないという理屈です。
TOEIC出現以前は、日本人の英語力を図る一般的な物差しは英検しかありませんでした。社会人の世界では、2級は「私は仕事で英語を使えません」と同義なので、準1級と1級しか意味をなしません。つまり、社会人の英語力は、
1.準1級以下、
2.準1級~1級、
3.1級以上
の3段階評価しかTOEIC以前は出来なかったということです。さらに戦コン外銀商社でもない限りは、社会人の9割以上が3は無理なので、社会人の英語能力は1と2のどちらかしか分けられない、よって英語の能力を測る指標としては2段階評価を用いる以外やりようがない、というのがTOEIC出現前の状態だったと思います。しかし、日本社会が国際化するにつれ、さらに細分化された指標が必要になりました。英検のように合否基準でのテストだと、細かい能力測定が出来ないため、TOEICの細かい点数指標が企業で重宝されるようになりました。考えてみれば、もし学歴がそれほど重視されない世の中であれば、日東駒専以上を良い大学、それ以下を普通の大学、ぐらいの2段階評価で良いはずです。なぜ出身大学が重要となるのか、それは偏差値という数値の序列化によって価値の差別化が図れるからです。英検はTOEICで言うと、550点(2級)720点(準1級)、910点(1級)の3種しか判定出来ません。これでは企業側にとっては、非常に使いにくいでしょう。
英検は1級を受かる能力があるのに、準1級しか受けていなければ準1級合格ということしか判定を出してくれません。しかし、TOEICは一発で受験者全員を Reading と listening に限ってですが、英検2級~1級までの3段階評価を70段階評価してくれます。
年間10回以上テストしてくれて、1回2時間のテストだけで4技能(読む聞く書く話す)を70段階以上の数値に序列化してくれて、1回8000円で、全国各地でやってくれるテストがあれば、そちらの方がいいでしょう。しかしそのような英語の共通テストは今のところ存在していないので、2技能だけでも1発で測ってくれるTOEICの独壇場となっています。
多くの志願者をコストを掛けずに選別するためには、まずは何らかの指標で不要な部分を切り落とす必要あります。切り落とさずとっておいた志願者をコストをかけて、ひとりひとり精査していけば、正しい採用が出来るというのは、誰もが考え付く合理的なやり方です。偏差値が序列化に使われているというのは、同じ一つの統計データ基軸により、複数のものをを数値の大小で比較出来るからです。
出身大学の偏差値(=高3の3月時点での学力)だけでは、就活生の今の英語能力が分かりません。この切り落としの作業が不完全です。さらにTOEICの点数でも切り落しが出来れば、その後の正確な検品により時間を掛けれます。このため企業はTOEICの数字を重宝するのです。
このように、英検と比べたTOEICの価値は数値による序列化が出来る点にあります。ドラゴンボールのスカウターと同じで、相手のことを知らなくても、数値を知れば大体の相手の英語戦闘力は把握が出来るという優れものであります。多くの人が受験しているので、スカウターに数値が表示されやすい試験と言えます。
TOEICのすばらしさ
しかし、当塾は、評価基準が英検に比べて細かく設定されている、というだけではTOEICを押すことは出来ません。それではTOEICの何がすばらしいのか?TOEICのすばらしさは、まさにそのネットワーク効果にあります。みんながその判定数値を持っているから数値自身の信ぴょう性が高まり、TOEIC自体の価値が上がります。TOEICは参加人数が多いから、その点数の意味を分かっている人が多いから価値があるのです。英検が不利なのは、英検受験者の8割は高校生以下という事実で、ここでは20歳以上の人におけるネットワーク効果が発生しません。準1級合格といっても能力レンジに幅があり、1級合格も同様です。企業にとっては英検の評価で入社志願者を差別化しにくいです。このようにして、TOEICはまんまと?社会人の英語能力指標のベンチマークの座を英検から奪いました。TOEICの偉大さはまさにこの点にあります。
TOEICは日本人と韓国人しか受験していない。まさにその通りです。ですが、それゆえに、TOEICは極めて多くの日本人が持っている数値ということになり、日本人同士での数値の信頼性がより高まることになります。TOEICは日本人と日本人を競争させるためのツールです。対外人ではありません。ただし、日本人 applicants を選別する必要がある日本国内で展開している企業にとってはこれで十分です。
TOEICは1ランク上の相手との差を詰める道具
日本人は学歴により、国民がある意味全員序列化されつつありますが、それ以外に社会人の能力を測る指標としてTOEICが学歴の価値以外のプラスアルファに最も近い位置にあります。文系新卒に限りますが、東早慶下位卒TOEIC680 VS MARCH上位卒TOEIC900 の場合企業としては評価はどのようになるのでしょうか?微妙な所だと思います。これを、東大 VS 立教にしてしまうと、エントリーシート段階では100%東大が勝ちます。確かにこれだけで入れてくれる企業はないと思いますが、これを突破するとあとは倍率3倍ぐらいに一気に倍率が下がります(上位企業の場合は同じ大学内での争いという話はさておき)。このように、TOEICは18歳の3月で学士の学歴が確定してしまった後の、敗者側の逆襲ツールとしても威力を発揮します。浪人して1ランク上の大学を目指すぐらいであれば、受かった大学に甘んじて、本来は浪人で使う1年をTOEICのスコアアップだけに使えば、就職という出口ではあまり変わらないのではありませんか?東大 VS MARCH や早慶 VS 日東駒専のような1つ・2つ飛ばした群同志の勝負だと TOEIC の点数だけで逆転するのは難しいかもしれませんが、東大 VS 早慶や、成成明学獨國武 VS 日東駒専のような隣接ランクが相手の場合は、TOIECの点数だけで十分挽回可能だと当塾では考えます(相手の上位陣は食えませんが、相手の下位群は十分に逆転可能)。
TOEICのつらさ(企業内のおじさん、おばさんから見て)
TOEIC出現以前は、若手社員は経験と人脈、仕事上のノウハウの長年の蓄積により、社内のおじさんやおばさんに勝てる要素は1つもありませんでした(若さや外見というのはさておき)。しかし、TOEICの数字を介在させることにより、若手社員がおじさんおばさんに一矢報いることが出来ます。おじさんおばさんに全部は勝てませんが、業務上の1つのことだけは勝てる、という余地をTOEICが作ってくれたこともTOEICの功罪のひとつです。同じ土俵でおじさんおばさんと若手が互角の勝負が出来るようになった(=互角の立場での勝負をさせられる羽目になった、、、、)、ということです。功罪の罪の部分は、逆に言うと、今まで若手社員に対してはあらゆる点で全勝ちだったおじさんおばさんの牙城を1つだけでも崩せる場を TOEIC が提供することで、おじさんとおばさんの地位を少しでも危うくするツールにもなってしまったことです。英語が出来るおじさんおばさんならいいのですが、出来ないおじさんおばさんにとっては、年数を経ないと蓄積できない能力と財産の聖域に飛び道具で挑もうとしている外敵として、英語が出来る若手社員が初めて認識されるようになったのかもしれません。
このようにTOEICは英語が出来ないおじさんおばさんにとっては、若手社員と比べて自分の優位性を少しだけかもしれませんが、危うくする要素でもあります。言い訳の効く若さや体力・外見と異なり、しっかりと勉強すれば出来そうなテストであるTOEICで勝てないのは言い訳が効きません。。。ここがおじさんおばさんのつらいところです。